田宮二郎『白い巨塔』

 かねてよりもう一度見たいと思っていたテレビドラマのうち、近衛十四郎の『素浪人月影兵庫・花山大吉』、山形勲剣客商売』などは私が行っているビデオ屋にはなく、唯一あったのが『白い巨塔』で、しかしこれがDVDのしで見られず、DVDが手に入ったのでようやく見られることになりまして、さっそくレンタルしてきますた。
 なんか、冬ソナなみにむやみやたらに長いのにまずビックリ。当時は1クールもへったくれもなく、ひっぱりまくっていたんだろうね。もう一つ時代を感じたのは、話の展開とか、カメラワークとか、フットワークがよく言えば重厚に淡々と流れる、悪く言えば、キレがないというかぺしゃっとしたカンジがする。あとナレーションとか、セリフとかが、非常に説明的、かつ饒舌であり、心象風景がナレーションで入ったり、さらには独り言まで言わせたりしている。今のお笑いみたいに笑えるところを文字でドアップに出したりしないけど、「財前助教授」「東教授」みたく、達筆な、しかしちょいと事大主義的なロゴで表示されるので、にゃんにゃんらーと思った。しかし、これは時代的な制約と言えるのだと思う。見ているうちに「元祖ヅラ疑惑」などとゆっていたことをポイントポイントで思いだし、深刻な顔の田宮二郎が波平にみえてしまい、お辞儀のシーンではオヅラのカツラポロリ動画なども思いだし、また局アナのマッキーほか疑惑の人が走馬燈のように浮かび、やたら笑って困ってしまいますた。
 放映時、死期迫る田宮二郎の演技が、青白く凄みを増していったのはトラウマな記憶としてある。長いのでまだ見始めたばかりで、当分その辺まではいきそうにない。ただ言えることは、一つにはすげぇ役者使っていて、巨人の重量級打線のようだということ。フジテレビのサイトから引用しておきます。里見の兄で、洛北大学講師から町医者に転じた赤ひげちっくな岡田英二が抜けてるね。この他にも渡辺文雄戸浦六宏小松方正北林谷栄なども出演していたはずです。

田宮二郎財前五郎浪速大学第一外科助教授)
山本 学 … 里見脩二(同第一内科助教授)
中村伸郎 … 東 貞蔵(第一外科教授)
島田陽子 … 東 佐枝子(東教授の娘)
太地喜和子 … 花森ケイ子(財前五郎の愛人)
小沢栄太郎 … 鵜飼医学部長(第一内科教授)
曽我廼家明蝶 … 財前又一(財前産婦人科院長、財前の舅)
佐分利 信 … 船尾 悟(東都大学医学部教授)
金子信雄 … 岩田重吉(医師会会長)
加藤 嘉 … 大河内清作(病理学科教授)
河原崎長一郎 … 佃 友博(第一外科医局長)
高橋長英 … 柳原 弘(第一外科医局員)
中村玉緒 … 佐々木よし江(死亡した患者の妻、裁判の原告)
上村香子 … 里見三知代(里見の妻)
児玉 清 … 関口 仁(原告側弁護士)
米倉斉加年 … 菊川 昇(金沢大学教授)
生田悦子 … 財前杏子(財前の妻)
野村昭子 … 鵜飼典江(鵜飼の妻)

 新作の前田利家唐沢くんも、救命救急江口も、又一西田も、愛人黒木も、学部長イブも、あとわすれちゃいけない渋谷天外も、よかったと思いますし、もちろんラスクリ主演女優はキラキラ輝いていたし、新旧比較するつもりもないですけど、上記配役はなんじゃこりゃあとぶっ飛ばざるを得ないダイナマイト級のものだし、あらゆる形容詞を動員しても足りないような演技で、思わず見入ってしまいますた。今日朝からずっと家にいるもの。得も言われぬドラマトゥルギーは、ステップワークは重いけど、じわっと来るようなリアリティがあります。まあしかし、「余白」「切れ味」などを問題にしはじめた現代の映画、ドラマ、まんが、音楽・・・などに慣れ親しんだ世代においては、なんともだるいドラマということになってしまうかもしれませぬ。それは時代のせいだけではなく、テレビ表現の未熟ということかもしれないし。
 説明的な饒舌は気にならないことはないけれども、私は丁寧な人間観察に基づいたセリフの展開や、演出には、感心しました。それは懐かしさなのかもしれないけど。たとえば、太地喜和子−−この人も非業の死をとげたわけだけど−−は、存在感だけではなく、非常に深く脚本を読解して、絶妙の間合いでセリフや表情や動作をくりだしているように思われた。たとえば、「五郎ちゃんはおめでたいところがあるから」というようなセリフは、説明的ではあるけれども、含みをたくさんもっていて、その繊細なニュアンスを壊さないようにリアリティがつくられているように思われました。財前田宮が手術とか、学問に純粋に萌えた時、あるいは野心に萌えた時、そういうピュアなカチンコチン萌えの時に、太地喜和子のところにきて、火照りをさまし、帰りのタクシーのなか全面怒アップで、「ぜってー教授になってやる」と田宮が独り言を言い、運ちゃんが「はぁ〜?」、田宮「いやなんでもない」みたいな展開が「お約束」みたいになっているのは、隠しキャラ的なものなのでしょうか。それはともかく、非常に台本としては、説明的な部分はあるけれども、リアリティとしては図式性やなにやらを免れていたように思います。今のは、ことばが少なく、「余白」が多く、映像は疾走し、なんとなくクリスタルなようでもあり、でも純朴に萌えでもあり、でもなんか「あてずっぽ」なカンジはぬぐえない。その「あてずっぽ」を思想用語とかでごまかすような意味で「理屈が勝った」ものだとすると、相対的に丁寧なつくりの昔のドラマってもう一度ちゃんと見てみないとなぁとか思いました。
 善悪ほか二値的なものの並存、密接不可分などは、このドラマの基本要素で、それが乱反射しながら、一方で魑魅魍魎たちの邪悪な乱舞、他方で医学の崇高と命の尊厳の絶対というところへ流れ込んでゆくわけだけど、一種大河ドラマ調にだらだらやっていたことはスゴイと思うし、様式美もへったくれもないところで苦労していたテレビマンの気迫のようなものが伝わってきて、(・∀・)イイ!!ものがあります。しかし、随所で田宮のヅラぽろり太地喜和子の「おめでたいところあるから」を思いだし、得も言われぬものがございます。引きつづき現実逃避でぜんぶみちまおうかなぁ。