掃除をはじめる

 いろいろ仕事が山積で、掃除ができなかった、などというときれい事で、ごぞんじのひとはごぞんじかもしれないが、かたづけられないシンドロームであり、書類やなにやらが散乱している。そして、本が積み上げてある。何度かたづけてもこうなってしまう。年度末は掃除の季節である。学生バイトを雇い、掃除をしてもらう。けっこうハードワークなので、時給2000円くらい出す。もちろんポケットマネー。ッテイウカ、この時期公費は使えないんであるよ。
 この時期学生が大量に本を返しに来る。ついでに、在学中の本をおいてゆく人もいる。後輩がテキストにつかうかもしれないなどと、調子のいいことを言っているが、ブックオフにもってゆくのがめんどうなだけだろう。本を返す場合も、空いている棚に無造作に入れていくのとか、机の上に置いてゆくのもいる。なんか学問への愛がまったくないような気がして、非常に陰鬱な気分がするときがある。もちろんそういうことばかりではなく、卒論指導を受ける研究室にそれなりの帰属意識を持ち、相談が終わったら、五分ほどかたづけて帰るようなグループもいた。本のかたづけ方も違う。そういう人は、自分用の卒論をきちんと製本して保存していた。言うまでもなく、どっちがいいかの話ではない。過去をすっかり生産するのも、一つのオトシマエのつけかただし、なんかかっこいい。他方、うじうじなんでもとっておくのも、いいことだと思う。実は私は後者のタイプで、大学一年の時のテキストまでとってあるし、かつては抜刷や学会報告のレジュメなどもアルファベット順に整理してとってあった。今の書架は奥行きがなく、すべて縦置きのファイルボックスに整理し直すべきなのだが、重要なものをのぞいて散乱してしまっている。和田秀樹方式で、でかいダンボールにボコボコぶっこんでいる。この和田式整理法はとてもボクにあっているような気がするが、そのまんま堆積し、どーしようもなくなっている。
 卒論も増えてきた。最初の頃はすべて保存すると息巻いていたが、セルビングワンスパンの4割くらいにまでなってきた。今はネット時代だし、教員には電子提出させ、ファイル保存するようにしないといけないかなぁと思いだした。しかし、学生の閲覧ということからすると、ハードコピーが必要だ。合本して、雑誌のようにすることも考えている。