能勢伊勢雄スペクタクル

 岡山市役所の青木須賀子氏が出張で上京されるということで、懸案の西日本では食べられない竹輪麩を食べる会をかねて、NORABOさんで会食の席を設けた。野菜料理中心のお任せ料理を食べながら、岡山の地域文化の現況について、それを享受する立場からのお話をうかがった。お土産ということで、能勢伊勢雄氏のメモリアル展「能勢伊勢雄スペクタクル」の資料などを伺い、サボっているうちに岡山の地域文化から取り残されている自分を痛感した。若干なりとも展示などをみるために岡山を訪れるべきであったと、公開した。ただまあ、岡山を離れて10年目になろうとしていることを考えれば、これでよかったのだと思わないこともない。
 この話を最初に聞いたのは、毛利嘉孝さんが『日式韓流』を出された頃、メイルでやりとりしたときだった。「能勢さんのメモリアル展があります」と、毛利さんは教えてくださった。さっそくググり、公式サイトや新聞報道などをみながら、忙しい日常にため息をついていた。

公式サイト

 どんなじゃんるにもとらわれず、どんなジャンルにも関わっている、岡山市在住の人物に能勢伊勢雄がいる。ライブハウスの主唱者であり映写技師でもある能勢は、その一方で多彩な顔を持つ。映画、音楽、思想、史学、比較文化、美術、写真、デザイン、建築、イヴェント企画、書籍編集・・・。未知でもあり既知でもあった能勢伊勢雄のスペクタクル。
http://www.nose-spectacle.com/

毎日新聞サイトの紹介

 能勢伊勢雄1968−2004 26日まで、倉敷市中央2、市立美術館(086・425・6034)。能勢さんは、映画上映施設のあるライブハウス「ペパーランド」(岡山市)を30年前に開き、ロック音楽評論誌の編集や実験的なドキュメンタリー映画制作、写真作品を発表するなど、さまざまな文化的分野で活動。各分野で影響を与え続ける能勢さんの全体像を探る展示。ぼう大なコレクションのレコードジャケットや編集・執筆に加わった雑誌・書籍類、写真作品の紹介、制作した映画の上映など。入場料500円。

 倉敷市立美術館の展示については、椹木野衣「屍体と音楽──能勢伊勢雄展をめぐって」『新潮』2005年3月号に詳しい。映画「共同性の地平を求めて」や、音楽、映像などの多彩な活動をからめながら、トランスジャンルな「展示」を紹介し、バロウズをめぐるエピソードへと話を落とし込み、展示のアクチュアリティについて語っている。「旧・市庁舎を改装した、美術館というよりも公民館(失礼!)に近い造りである(とはいえ丹下健三による設計はなかなか興味深いものだったが)」という指摘は、一軒毒舌のようで、能勢の活動のアクチュアリティの主題提示ともなっているようで、興味深かった。青木氏のおみやのなかには、この論考のコピーが含まれている。
 この倉敷市立美術館の展示の他に、都心の人口減で廃校になった小学校を利用した文化スペース、NPOなどの寄り合い場所、「出石文化横丁」で展示が行われた。友部正人のコンサートもここで行われ、先日高円寺の円盤でゲトした手水もコラボしている。ギャラリーはこの他、アートスペースのテトラへドンというところで行われたようだ。映画館は2館になり経営をそれなりに維持している奇跡の?ミニシアターであるシネマクレールで、能勢伊勢雄氏のフルクサスフィルムズや、上記「共同性・・」の上映が、そして繁華街表町の三丁目劇場では、松岡正剛氏と能勢氏の対論が行われた。能勢氏のライブハウスであるペパーランドはライブが行われ−−と言ってもこれは日常だろうが−−、そしてFMでは関連番組が流された。
 今日のおみやのメインは、カタログ『スペクタクル能勢伊勢雄1968-2004』である。装丁は『命題コレクション社会学』を分厚くしたような、白の事典仕様。これがダンボール仕様のアートな箱に入っており、ミシン目のようなかたちで、スペクタクル能勢伊勢雄とローマ字書きされている。エクスパンデッドシネマに刺激され、フィルムに釘で穴をあけて、映像アートを創った能勢氏らしい、エクスパンデッドというモチーフを寓意として表現したようなオブジェになっている。白いルーペが付いているが、これもエクスパンデッド云々な仕掛けの一つなのだろう。実用なのか、寓意なのかは、わからないけれども、そんな択一をも超えたもとのして、このカタログはあり、落ち着いた趣味のイイ白の装丁であるけれども、能勢氏のエネルギーが炸裂している馬路やばいものだと思った。このカタログは、岡山市豊成の和光出版有限会社で入手できるようだ。
 青木氏の話によると、岡山ではデジタルミュージアムもできるようだ。ワクワクする。関東社会学会での話を聞いて以来、友岡邦之氏のおっしゃった予算、採算の問題がやたら気になる。岡山市の場合、金を出して、自由にやらせるということで、文化を育て上げた山本遺太郎氏の文化行政の伝統がある。しかしそれに尽きるわけでもあるまい。ほんとうはうまくいっていないのかもしれないし、うまくいっていたとしてもたまたまなのかもしれない。民活の時代に、地方文化のアクチュアリティというものはどうなるのだろうか。おめおめと東京にUターンした私が、それを論じるのことには、すごく抵抗感がある。東京から地方にUターンして、「東京ではさぁ〜」とかゆうのとおなじくらい見苦しいんじゃないかと思うからだ。まあ言い訳しても、しょーがねぇよなぁ。