ぼくでんが東京にあるなんて!

 岡山に行ったとき、今日はどこでメシ食ったみたいな話をして、そのなかでタン屋ぼくでんに触れたと思う。ログを見ていて気づいたのだが、「ぼくでん+新橋」というのがあって、なんじゃこれと思い、調べたら、馬路東京にもぼくでんがあるみたいだ。東京は新橋、このほか広島とかもあるみたい。メニューを見る限り同じ店であり、予約すれば東京でもタコの足のぶつ切りの刺身吸盤口の中吸い付きまくりうねうねごま油風味が喰えるかもしれないのである。これはかなりわくわくするが、銀座近くという場所柄、高いだろうし、混んでいるだろうなぁなどと思って見たりもする。ホームページの記事を見ると、なんとなくコンサルついてますみたいな雰囲気が漂っていて、本店の非常にこぎれいなダイニングバー仕様の店構えといい、異次元において、コリアン料理を楽しむ店になっているなぁと実感した。
 店ができたのは、私が岡山に行くちょっと前なんだね。なんとなくくすんだマニアックな店構えで、石橋凌みたいなマスターが金のネックレスにタンクトップ仕様シャツの筋肉モリモリ、ちょっと似た短髪のあにいと、もう一人ちょび髭で七三のあにいの三人がやっていた。ともかく無愛想というか、馬路怖い三人が、カウンターに並んで、黙って肉を焼いたりしていた。タン屋と言いつつ、タンは滅多になかったと記憶している。牛の横隔膜を串に刺したのとか、当時としてはけっこうめずらしい骨付きをアコーディオンみたいにひろげたのとか、あとよめなかせとか、変わったものをいろいろ食べた。心臓の血管かなんかで、カチンコチンエレクトでよめなかせかと思ったら、食べるとキューキュー音がするので、儒教文化では嫁が音を立ててものを食べるのははしたなく、食べるのに苦労するから嫁泣かせだということを、駅前商店街にある焼肉南大門のマスターに教わった。南大門も、ものすごく汚い店で七輪で煙りもうもうたてて、店の中が煙だらけというカンジで、そこが満員で、上等の肉を食うというよりは、「混合」とかいう、キレッ端まぜまぜにしたようなのを、みんな汗だくで喰っているみたいなかんじだったのが、バブル期に換気装置をつけたきれいな店になった。ぼくでんは一度の改装どころではなく、改装するたびにきれいに大きくなり中央町に視点を出したりして、かついつも満員だった。
 そのころになると、韓国風のお好み焼きとか、プルコギ系だとか、タコ刺しだとか、いろいろ出すようになり、私たちはラーメンがとても好みで、これが「兵隊なべ」仕様、つまりはマニアックな製麺のものをつかうのではなく、チゲなべのなかに即席ラーメンぶち込みますた系のもので、これがなかなか美味しいのである。今は蒜山にある木の実のご夫婦に聞いたところによると、兵隊なべは飯ごうで作るもので、即席ラーメンに野菜と魚肉ソーセージを入れたものらしい。木の実の兵隊なべはうどんと、肉と、魚介類の入った豪勢なものだった。いろんな風に変幻して、新しい美味さができることはよいことだと思う。それにしても、東京のぼくでんには果たしてラーメンはあるのだろうか。
 岡山のぼくでんは、地元の政治家だとか、いろんな人がひいきにして、アッとゆうまに有名店になり、東京にも店をもつようになった。通常、こういうサクセスストーリーというのは、極めてリスキーだ。汚い店のままでやっている路地裏の中華や、煙りもうもうの焼き肉店やなんやかやは、ローリスクであり、かつワクワクするようなお店の魅力があると思う。ぼくでんは、二つの要素を兼備しているところがすごいと思う。というか、その辺がセンスというものなのかもしれない。
 私は、松江の商店街や、臼杵の街にたまらなく惹かれる。しかし、それはやはり高度成長の枠組みから言うと、「乗り遅れた街」ということなのかもしれない。もちろん、臼杵住民運動で工場立地をはねつけた街であることは知った上での話である。環境問題の研究会で宇部方式と言われる公害対策について調べたことがある。そこで一番あれと思ったのは、宇部モンロー主義と言われる独立独歩の文化を堅持した宇部興産という会社が、高度成長の中で外部資本率がものすごく高くなり、また他県に工場進出したということである。これは酷薄な経済活動の結果なのだろうが、そこに一種の「サクセスストーリー」が形成され成功者に満足を、候補者に目標を与え続けている。擬似サクセスストーリーとしての中流の幸福が根拠を失ったとき、競争社会が顕現する。若者のたまらないむなしさを生み出しているのは、存外単純なものではないかと思っている。で、グローバル化するとどうなるかっつーことなわけだけど・・・。