香川照之と岸辺一徳

 昨日の晩から雪で、朝起きたらやんではいたものの、ものすごく寒いのである。この冬はじめて手袋が欲しくなった。買おうかと思ったけど、すぐなくすのでやめた。もう3月だしね。学校に来て、予約していた山形大紀要のコピーをとり、ネットをしばし。はてなでログ見たら、なんか香川照之から飛んできた人が多い。オダギリジョーといい、ネット系の人たちって、やっぱちょっとカルトなものが好きなのかなぁなどと思ったりして、ググって見て、ブログやっている人でやっぱり香川からのアクセスが激多いという感想を書き、舞台演劇について興味深いことを書いてる人がいたりして、なるほどと思っていたが、よく見ると救命救急24時で医局長をやっていることを知り、あらためて人気ドラマの影響力を知りました。渡辺いっけいは永遠の医局長ってカンジで、中堅の医者なんかをやると妙にリアリティがあることは、『輝く季節の中で』などでも感じたことです。まあ、演技者を論じるのに存在感キャラはまり系な物言いは、失礼なのだとは思いますけれども。
 で、香川照之と言えば、やっぱ静かなるドンってことになるのでしょうが、一応そういう飯が食える仕事をしながら、演技者としてこだわりの人生を歩んでいることは、なかなか興味深くあります。私個人としては、たけちゃんといっしょに芸大スタッフになるらしい黒沢清の『修羅の極道 蛇の道』なんかが萌えでございます。まあそれは、同時期に見た『修羅の狼 蜘蛛の瞳』、『復讐:運命の訪問者』などに鬼はまったからかもしれません。何度も言ったことですが、復讐の六平直政は、馬路すげかった。『顔』での好演こそ演技者の真骨頂なのかもしれないけど、やっぱこの人はキャラはまりとしては殺し屋とかだよなぁ。って、虎ノ門井筒和幸監督と殺し屋見たことある、こえかったとかゆっていたのは、かなりぶっとんだけど。それはともかく香川だけど、ちょっとサイコてぃっくなキャラはまり系で、ぶっ飛んだ感じで歌舞きまくれみたいな要望は強いだろうし、延長線上にNHK大河で秀吉を演じたことも思い出されるけど、本人は「なんとなくそこにいるかんじ」の岸辺一徳を目標にしているみたいなことを、どこかで書いていて、非常に印象に残っている。
 岸辺一徳が、「サリー」というニックネームのアイドルだったちうことを、知っているのは間違いなくおっさんだと思うけど、京極夏彦『怪』の『福神ながし』で、篤実と、放蕩と、享楽と、狂気とを、ぬらーっと演じてみせたかと思うと、『ぼくんち』ではどーもいい逝ってよしなおやじを演じている。顔のよく見えない天皇の役回りをやったかと思うと、尾道三部作で小市民的な親父を演じていたりする。作品宇宙は、「物の怪的なもの」から「一般ピープル」まで多種多様ながら、一種の虚焦点みたいなもんとして、サクッと立ち居振る舞っていて、かつ作品世界を微妙にずらし、ピチッとはじけるよな気がする、その気がするようなパンクな間は、たとえばデビッド・バーン@トーキングヘッズが『ストップメイキングセンス』−−特にサイコキラーとか、らいふでゅありんぐウォータイムとか−−で魅せたパンクともまた違っていて、すごいなぁと思うんだけど、それを「なんとなくそこにいるかんじ」みたい(正確な表現じゃないけど)に言ったのは、香川照之のすごさだと思う。サティーだ、家具の演技だなどと言いたいわけじゃない。そんな理屈からはいるなら、岸辺のきの字も言う必要はないはずだ。それをとりあえず岸辺が目標みたいに言っちゃって、かつ舞台でそれなりの地歩を築き、カルトな映画にいろいろ出て、しかもしっかり飯を喰っているというところが、すごく共感できるのである。