目的特化系大学院

 いわゆる大学院大学というのは、大きな定員でどうなるんだろうという雰囲気をたたえてはいる。これとは対照的に、目的を絞った大学院がいろいろつくられ、社会的な期待を集めている。目的を絞ったと言っても、いわゆるテクニカルスクールなどと通称される専門職大学院(法律、ビジネス、教育、医学)などとは違う、新しいコンセプトを打ち出したものが多い。うちの大学でつくった「生涯発達」「共生社会」などというのも、この類なのだろうと思う。一定の社会的な期待を集めている。今日さっき家に帰ったら、庄司興吉先生より封書が届いており、なかに清泉女子大に新設される「大学院修士課程地球市民学専攻」のパンフ他が入っていた。庄司氏の他、しゅ〜矢澤先生、佐久間孝正先生など、お世話になった先生方の名前がならんでいる。公共哲学ということで、山脇直司先生も名を連ねている。昨年末本もいただいたし、情宣の一助と思い、ここに採りあげた次第。「グローバル公共性」というようなコンセプトは、社会学理論的には議論百出なのだろうとは思うものの、議論しておいて悪いことはないと思う。遊び論のあらえっさっさーというのは、堅牢無比な近代倫理などを前提にしてあることだと思うわけで、そのかぎりにおいてあらえっさっさーの批判性は意味がある。それがないと、あらえっさっさーは愚劣な原則主義となり、正統ななにかを祭り上げることになるかもしれない。