山本東次郎・近藤ようこ『中・高校生のための狂言入門』(平凡社)

 昨日は入試の仕事も終わり、のんびりした気持ちで吉祥寺の本屋を徘徊。一応デビュー作みたいだしスピヴァクデリダ論を買っておくかなぁ、などと思い平凡社ライブラリーの棚に行ったら、山本東次郎近藤ようこ『中・高校生のための狂言入門』という本がならんでいて、工エエェェ(´д`)ェェエエ工と思い手にとったら、やっぱり近藤ようこはまごうことなき漫画家の近藤ようこであった。最近「間の社会心理史」などということにはまっていることもあり、それが苦手な古典的知識を回避したものであるにしても、いろいろなものを読んでおくことは、隠し味程度には必要であろうなあなどと、殊勝な向上心もわいてきたので、購入を決断した。
 大蔵流狂言方山本東次郎が中学生や高校生向けに狂言を語る。その聞き手が近藤ようこ。なんでだろうと思って、あとがきとか探したけど、鮮やかなまでにあとがきもまえがきもない。で帰ってググったら平凡社のサイトにより、近藤が「狂言フリークを自認する漫画家」であることを知った。近藤は、聞き手に徹している。どんなもんだい!ッていうところは、まったくない。というか、山本センセに直に狂言の個人教授をしてもらえることに夢中になっているというカンジで、こちらも意地の悪い気持ちにならずに本を読むことができる。ときおり能狂言をめぐる中高生的なジョーシキみたいな知識を用いたまとめかたをして、っていうかまあ一種のねたふりをして、つかみはOKっていうぐあいに、そこから山本師のお話がさらにゆたかにふくらんだりしていて、教科書的な知識しかもたない私のようなものにも、非常に読みやすかった。
 狂言と言うと、陰陽師とか、あとかぜ薬のCF、なんだっけそうそうコンタックだわな、そのCF「大きな毛抜きで、はあさまれて、ハーッ、くっさめ、くっさめ、くっさめ」は強烈だったよなぁ。「はあさまれて」には禿げしく笑ったよなぁ・・・などと思いつつ読んでいたら、モロこの話が出てきますた。馬路トホホ。あそこでワロタらあきまへんちゅーことなんですわ。ギャハハと笑わないことでそこに、まあアテクシの言い方で言えば、「間」が生まれるッちゅーことになるみたいなのね。山本師は、そこでとっておきのエピソードを紹介。茂山千作師(最初「和泉元秀師」と誤記*1)が、地方かなんかにに行ったときに「あの、クッサメやってちょ!」とかリクエストされたみたいなのね。で、茂山千作師(元秀師と誤記)はギョギョっとしたみたいなのだが、人のイイ茂山千作師(元秀師と誤記)はそれをやってやんややんやの大うけだったみたいなの。まあ言ってみれば、ダンディ坂野が地方公演かなんかに行って、賞味期限がとっくにきれた「ゲッツをやれ!」と言われて、とほほでやる「間抜け」と似ているかもとかと同じだろうとか、間抜けなことしか思い浮かばないけど、まあすごくよく理解できる話になっている。
 近藤ようこのマンガは、瞬間の動きを、隙間というか余白だらけの絵、というか線で表現しているところに感心することはしばしばある。これはもちろん歴史ものにおいては顕著であり、キョン!とか、コン!とか、巧みなオノマトペなどを交えつつ、いろいろな人間の間を表現している。あらためて見直してみて、明らかに狂言フリークスならではというような表現も見てとれる。と同時に、近藤は現代における愛情や憎しみの間を同様に表現してもいる。この辺は、伝統的な日本文化に限定せず間を議論したい私にとり、勇気と手がかりを与えるものになっている。今度の本でも、わずかながらのものであるけれども、挿絵をいくつか描いている姿勢や動きの表現にとりわけ感心するものが多かった。そして、文章を読んでいて、近藤の作品がいくつか思い出されたことも事実である。

*1:CF出演は元秀師であったはず。