高円寺円盤再訪:緑魔子、富岡多恵子を聴く

 ともかく風邪を治そうとゆっくり寝て、奮発してユンケルのファンティーを飲んだ。若干体力的にも落ち着いてきたので、約束通り高円寺で友人に会い、メシを喰った。日本そば。その後、仕事一段落で多少精神的な余裕も出てきたので、ゆっくり高円寺を徘徊、円盤にも久しぶりに行き、マイナーCDを冷やかした。その後、小腹がへったので西荻南口のメローネでメロンパンを買い食い。ここはメロンパンしかない店だけど、いつも行列ができている。焼きたてを買って、かぶりつく。外はこおばしく、なかはもちもちしている。外がこおばしいのは、他にもいくらでもあるが、なかがもちもちしているのは、他にはない味ではないかと思う。帰路、大学近くにある天徳湯という銭湯の前に「受験生の皆さん、大きいお風呂でリラックスしませう」という看板が出ていて、笑ってしまった。おそらくはリラックスに眼目はあり、大きいお風呂は言葉の勢いだとは思うのだが、昨日とか一昨日とか何人かは入って帰ったのだろうかと非常に興味深かった。ちなみに私は、京都の龍谷大学で学会の勝負報告をD3でやったときに京都タワーの地下かなんかの銭湯で、大きなお風呂に入ってリラックスしたのであった。私なら、この看板みたら風呂に入るだろうなぁと思った。

緑魔子『アーリー・イヤーズ〜シングルコンピレーション』

 「奇跡のCD化」というコピーが眼に突き刺さった。緑魔子個人としては、初アルバムらしい。東芝、キャニオンの音源から、リマスタリング。「新しい音色が(・∀・)イイ!!だろ」っつーことだった。実質デビュー曲「女泣かせの雨」とか、東芝音源の多くはスナックでよく歌われる斎条史朗「夜の銀狐」*1とか、南有二とフルセイルズ「おんな占い」とかみたいなの。*2全体的な曲調は、どう考えても歌謡曲なんだなあ。
 それでもやっぱ68年しているとしか言いようのない挽歌ちっくであるけれども、北原ミレイの石狩挽歌なんかとはまたちがうコアな雰囲気をたたえております。なかでも、寺山修司作詞「酔いどれ船」、同名サントラ監督東陽一作詞「やさしいにっぽん人」は、一ひねりがあり、人によっては萌え、人によっては萎えでござんしょう。こんなものについているとよくわかめなボーナストラック。「女泣かせの雨」よりも早く発表された「ウーン愛してる」は、ERパクリ仕様救命救急24と同様の、「奥様は魔女」パクリ仕様「マコ!愛してるゥ」の主題歌でレコードなかったやつみたい。「頽廃感やおどろおどろしさは無く、甘えるようなしゃっくり唱法」で「聴き手のほうが照れくさくなる」ですと。だけどさ、「マコ」っていうんだから、たぶん緑魔子の芸名はこの番組からなんだろうね。コラボレーションが、バーブ佐竹とロイヤル・ナイツ。バーブ佐竹@「女心の歌」。「どうせ私をだますならだまし続けて欲しかった」=認知的不協和論の例としてよく使われる歌詞も懐かしい。バーブ佐竹は、リバイバルしない最後の大物と思っていたけど結局亡くなった。
 そのバーブが、シナ・トラオという筆名で作曲をしていたのは、ライナーノーツをみてはじめて知った。たぶんフランク・シナトラからくるんだろうな。まさか、中国の虎男じゃないよな。w ライナーノーツやプロフィールは、こういうのを買う人の秘孔をつくようなものであって、映画デビュー作で小川真由美の妹役、共演が岸田森草野大悟とかさらっと書いてあります。夫石橋蓮司とのホラー作品などは誰でも書けるでしょうが、「ゴドーを待ちながら 女版」で市原悦子と共演したことなどは懇切丁寧な解説だと思います。

富岡多恵子『物語のようにふるさとは遠い』

 富岡多恵子がレコードを出していたなんて、知らなかった。『詩よ歌よさようなら』に経緯が書いてあるというのだが、富岡作品というのは、詩はともかくとして、熟読したのは正直言えば室生犀星の評伝くらいだったからね。要するに、「詩や歌謡曲への謀反」ってことらしい。あるラジオ番組で、浄瑠璃三味線にあわせて自作の詩を読んだのがほったんで、レコード会社が(・∀・)イイ!!と歌を出そうということになったみたいであります。森雪之丞みたくポエトリーリーディングCD出すなんて発想は当時なかったんだろうね。これはすでに70年代なわけだけど。で、ビクターレコードが探してきたのが坂本龍一だという。

 この時の彼はまだ東京芸大の大学院生である。坂本は「今まで「歌謡曲」を書いたことのないその世界では無名のひと、しかも才能のある二十代の男性」という富岡の注文に対してディレクターが連れてきた。当時の坂本はりりぃのバイバイセッションバンドや浅川マキのバックでキーボードを弾きながら少しずつアレンジの仕事などもこなし、アンダーグラウンドのフォークの世界では注目を集めていた。その一方では、現代音楽、フリー・ミュージックのシーンでも土取利行や高橋悠治との共演で評判を呼んでいた。

 「歌かどうかの境界線」において、危なっかしく保たれているバランス/アンバランスを追求する能作がここにはあるというのが、ライナーノーツのむすびであるが、要するにへたかうまいかとかそんなことは超越したぶっ飛んだものがそこにはあるということである。たとえば「ハウンドドッグ」のビッグ・ママ・ソーントンなんかの一唸りともまた違う、わけわかめなものすげー声がそこにはある。ジャケツもなんつーか、貞子@リングのみたいよ。

Conti「・・・OF ‘LOPIEN’」

 もう一枚円盤レーベルの曲を買った。「手塚治虫な未来都市」「メタモルフォーゼとリフレイン」が基本コンセプトで、ドラムとシタールのユニットである。すごい尖っていて、上のふたつを聴いたあとなので、ちょっと体力がもたないカンジですた。まあしかし、大好評の一作ということです。シタールの曲ということで期待されるものは、たぶんここにはなく、グングン変容してゆく尖ったエネルギーみたいなものを感じたい人にはいいんだろうね。
 さて、咳き込んでいるものの、泳ぎに行こうかどうしようかというところですが。

*1:ググったら一番先に出てきたのが、どっかのデリヘルみたいなので笑った。

*2:よく歌ったなぁ「おんな占い」。「胸にほくろのある人は好きな男にだまされる♪」だっけな。