岡山大学の入試の思い出

 そんなことを話していたら、岡山大学の入試を思い出した。様々な模擬店が、創意工夫をこらした「建築物」として−−つまりはテントをはっただけではなく、壁をつくり屋根をつくり、ゆかをつくり、厨房をつくり、なんつーか、一種ゴールデン街ふうというか、ションベン横町ふうというか、しゃれた店とかもあるからどっちかっていうと高円寺ふうというか、そんな模擬店が−−キャンパスに立ち並ぶ大学祭とともに、岡山大学の入試は、全国でも珍しい風景なのではないだろうか。他の国立大学で聞いても、そんなことはないという答えがほとんどだ。
 なにが言いたいのかと言えば、高校と大学の結びつきが非常に強いということである。私が赴任した80年代には、まだ共通一次試験というのをやっていて、これが岡山では岡山大学会場一つだったため、全国一のマンモス会場であり、岡山県のあちこちから、バスを仕立てて、岡山大学までやってくるのである。もちろん宿泊はみんないっしょ。宿泊先によっては、ホテルの社長が巨大宴会場での夕食会で得意満面の大演説。それを真顔で聞く高校生たち。そして、メニューが、カツだったり、テキだったりするなんて話を聞いて、ばかくせーと禿げしく笑った、っつーか、カツはわかるけど、テキはなんだよ。ライバルかよ。と、高校生たちもカゲではいうらしい。で、先生の引率で岡山大学へ。するとそこには、卒業生が待っている。得意満面で、下見では学内を案内をし、試験当日は、学食にお茶やなにやらを用意している。もちろん、部外者にもこれは振る舞われる。
 そして、キャンパスには応援ビラが待っている。「○○高校必勝」とか書いてあるんだよこれが。最初みたときはぶっ飛びマスタよ。でもさ、けっこうイイジャンかと思うようになった。この数が半端じゃない。昔のセクトのステッカー状に、キャンパスの至るところに貼られている。実名入りのもあるんだよ。「○○さん必勝」「目指せ満点○○くん」「たかが塗り絵、されど塗り絵」。って、止めてくれるな橋本治には及ばないだろうけどな。機知に富んだものが多い。二度の大学闘争/紛争があった岡山大学では、掲示物の管理は非常に厳しいものがあるが、これは例外だった。高校によっては屋根に横断幕を掲げたりした。高層の校舎から、垂れ幕を垂らした高校があったが、さすがにこれはコラ!と怒られたみたい。
 もちろんこれは共通テストだけではなく、ほんちゃんの岡山大学の入試でも行われるわけ。そっちの時は、他県から来た人はたまげるみたい。だけど、上級生が他県から来た人にも親切で、けっこう感激したりもしていた。
 高校の先生たちは、なかには入れない。試験場の窓からのぞくと、寒いなかずっと外にいて、試験場の窓にエールを送っているような先生がいる。オイオイ馬路かよとか、最初は思ったが、休み時間になって学生たちが駆け寄って、取り囲み、質疑応答する姿をみて、正直まいったなぁ。言葉もなかった。汚れちまったなんとやら。そんな篤実を再興しようという議論が猥褻だということは、もちろんわかる。べたべたした人間関係が嫌いという人も多いだろう。しかし、そうした教師が1人2人ではなかったことは、私にとって非常に説得的な事実であったことだけはたしかだ。
 まいったよというような懺悔とも反省ともつかないことを、親しい学生に話したら、「好感もたれそうな反省は不潔だ」とか、「入試受けに来ているのは一部のエリートなんだから」とか、よってたかってけちょんけちょんに言われた覚えがある。今の学校で、見るのは親以外は、私塾の先生を見かけるくらいだ。過保護といえば過保護。しかし今だからはずかしげもなく言うけど、実はあのときは自分もあんな教師になりたいと思ったんだよなぁ。今は、テメーで考えろになってきている。あまりにクレクレ君、してして君、認めて君が多くなったということもあるんだろうが。